アイディアを出し合う=それぞれの好みを知る。

【日記】

今日は「何事!」と感じるくらい、風が強くて寒い1日でした。少し前から急に寒くなりましたね。お互いに風邪をひかないよう気をつけましょうね!

さて、今日も今日とて打ち合わせです。

日曜日なのに、今、こんな有様で大丈夫なのか。そう思う瞬間もありますが、実際にリハーサルをしてわかることもあるんですね。だからお互いに「落ち着けー」「大丈夫!」と言い聞かせて、打ち合わせを進めています。

でね、今日気づいたことはお互いの好みって案外知らないままだったな、という事実です。

や、付き合いがそれなりに長くなってきても、気づかないこと、知らないことってあるんですよ。それが今回のイベント企画によって、アイディアが出てきた時に「この人ってこういうものが好きだったんだ」「あの人ってそういうものに詳しいんだ」という事実がわかるのですね。そうしてその好きなもの、詳しいものに関する知識を教えていただいて、ほわああ、と新しい扉を開くことになりました。

たとえばわたし、音楽にはさほど詳しくないのですよ。

でも今回、知人が紹介してくれた曲が素敵でね。知らないグループだったんだけど、一緒にYouTubeのプロモーションビデオを見て、その魅力を知ったり。

あるいは、打ち上げでゲストが歌う曲を用意しておかないといけないんですけれど、そのゲストさんのリクエストを通じて、「こんな名曲があるんだ」と知ったり。

誰かと一緒に物事を進めるということは、誰かの思い入れが強いものを知ることだという事実にも、今さらかもしれませんが気付かされました。

わたしは普段、一人で暮らしています。家族はみんな亡くなってるし、病気が理由になって多くの人と接する機会もあまりない。閉じこもった世界に生きてます。

だから好きなものの幅も、そう広くはない。友人の間では機械トラブルに強い人間だと思われているけれど、わたし以上に機械トラブルに詳しい人間、強い人間はたくさんいる。

そういう事実を改めて知ることができて、なんだか落ち着かない気持ちになりました。

どう説明したらいいんでしょうかね。至らなさや視野の狭さは予想していたけれど、なんというかな、もっと広い世界があるのに引きこもっていたらもったいない、という気持ちになったというか。

このままでいいの? と我が生活を振り返ってしまいたくなるような、そんな気持ち。

もっともっと好きになれるものはこの世の中にはたくさんあって、それを知らないまま、わたしは人生を終わらせることになるんじゃないかな、とも考えてしまったのです。

不安に似ているかもしれません。

いま、わたしが自信を持って好きだと言えるものは確かにあって、それは間違いなく好きなんだけど、小さな違和感もあって。もしかしたら、そのささやかな違和感すら抱く隙間もないほど、ぴたりとはまって「好きだ!」と言えるものがあるのかもしれない。

そういうふうにも感じたんですよね。

もっと大きな世界に行きたいな。そうとも感じました。

でもわたしは間違いなく、いるべき場所にいるんだと捉えています。わたしは、今の場所、今の家以外に行きたいと感じる場所はない。それでも、単純に、自分の可能性は広がりを見せるのかもしれない、とも感じたのですよ。

このあたりのモヤモヤ、皆さんは感じたことがありますか?

 

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