物事を判断するのは、いつでも自分。

【日記】

今日も今日とて、クリスマスにある集まりの打ち合わせがありました。

新しいメンバーとも、ようやく滑らかに会話が進むようになっています。実は少し前まで、構えていたんですね。なぜならわたしは人見知りの傾向があるから。

だから自意識過剰になっていて、落ち込むことが多かったのです。「あんなことを言わなければよかった」「こう捉えられてしまったんじゃないかしら」……そんなふうに悩むことが多かったのですよ。正直、打ち合わせを憂鬱に感じる時もありました。

でも人徳なんですかね。

わたしの人徳ではなく、新しいメンバーさんたちの人徳。一緒にごはんを食べたり、会話をしているうちに緊張がほぐれてきて、一緒に計画を遂行する間柄になることができました。

まあ、向こうがどう考えてるのか、それはわからないのですけれど、少なくともわたしが当初抱いていた人見知りが払拭され、メンバーさんたちを信頼できる人だなあと感じています。

それは多分、向こうも気を遣ってくれたところもあるんだと感じています。

わたしが普段何をしているのか。何に興味を持っているのか。わたしという人間に対して歩み寄ってくれ、そうして得た解答にも偏見なく言葉を返してくれた。それだけなんですけれど、おかげさまでわたしの緊張がずいぶんほぐれたのです。

だから同じように、わたしも努めました。

正確には、向こうが歩み寄ってくれた方法をわたしも真似ただけです。それだけなんですけれど、ずいぶんくつろいで話せるようになり、そんな自分にわたしは驚きました。

わたしは、人付き合いを苦手だと考える人間です。

前提として、他人に悪意を向けないように動いていますが、それでも余計な一言を言ってしまって、人を落ち込ませたりすることもあります。だから他人から受け入れ難いと思われているタイプじゃないかな、と考えていたのですね。

でも先日、友人が言ってくれたのですよ。「みどりちゃんは、自分が思う以上に周りから受け入れられているよ」と。

その時は軽く流してしまった言葉ですが、新しいメンバーや以前から付き合いのあるメンバーと言葉を重ねているうちに、だんだんと楽になってきた部分があります。警戒とか、身構えていた部分が消えてきたんです。肩の力がスッと消えました。

その時、考えたんです。ああ、物事の見方って自分が決めるんだな、と。

ありふれた結論ではあるんですが、そう感じました。同時に、自分を苦しくする原因は、偏った自分の価値観ということもあるんだな、とも感じました。

もっとおおらかに。もっとゆったりと構えられたら。

苦手と感じていた人間関係でも、深呼吸できるようになるかも、と今日は考えながら帰宅したのですよ。

少し、進歩しました。

 

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